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永田
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下ネタ以外を書かないように頑張ります。
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タイトルのとおり、オナニーの定義付けをしたい。前回を読んでない人は先に前回を読んで頂きたいです。

前回、カップル同士でオナニーを見せ合ったりするのはオナニーではないと語ったが、ならば一体どこからどこまでがオナニーなのか。
これは非常に難しい問題である。

しかし、ご安心あれ。オナニーのパイオニア、自慰のスペシャリスト、Mr.マスターベーションと数々の名声を欲しいままにしてきた私がこの命題を今日こそ解決したいと思う。


オナニーには3つの法則があるのだ。これを理解すれば直ちにあなたにもオナニーとは何か、ということがわかるであろう。

そしてオナニーを完全に理解したあなたは喜びのあまり、実家の母親に電話をかけるのであろう。
「もしもし、母ちゃん?俺とうとうオナニーが何かわかったよ!」なんつって言うのだろう。悪いことは言わない。やめておけ。

まずオナニーの第一法則からいこう。これは別名「オカズ不干渉の法則」と呼ばれている。

オナニーの実行者(以下オナニスト)は、オカズにされているもの(オカズン)に対して干渉してはいけないという法則である。それを犯したとき、その行為はオナニーではなくなり、プレイとなるのだ。

これはオナニーの基本中の基本だ。
テレフォンセックスを例に取ってみるとよくわかる。もちろんテレフォンセックスはその名称のとおり、オナニーではない。では何がいけないのかというと、オナニストの呼びかけにオカズンが応えてしまっているところだ。
これはいけない。オカズに干渉してしまっている。よってオナニーとは呼べないのだ。


次にオナニーの第二法則「一方通行の法則」の説明に入っていこう。

これは、オナニストとオカズンの正しい関係についてより深く入っていった法則である。
簡単に図で示すと「オナニスト⇒オカズン」の関係でない限り、それはオナニーと呼べないということである。
「オナニスト⇔オカズン」の関係ではダメなのだ。

この法則と第一法則とどこが違うのか、と疑問に思った方もいるかもしれない。
のぞきを例に挙げると第一法則との違いがわかるはずだ。第一法則だけではオカズンがオナニストの、のぞきに気付いていようがいまいが、干渉しているわけではないのでOKだったはずだ。

しかし、この第二法則は違う。のぞきにオカズンが気付いて、それを許容している場合は「オナニスト⇔オカズン」の関係になる。つまり、オカズンが自分をオカズにオナニーしているオナニストの存在に気付いてはいけないのだ。
それを許容するということは、自分がオカズになってあげているという意識をオカズンが持つということである。これがプレイでなくて、なにがプレイなものか!えーい、お母さん!ご飯おかわり!


最後の第三法則は「金銭目的の法則」である。

これは今までの法則の例外を示すものだ。そう、法則の名の通り、金銭がからんでいる場合は第一、第二法則に抵触していてもそれはオナニーとなるのである。

金銭がからんだ場合、オカズに干渉しても「オナニスト⇔オカズン」とはならない。なぜなら「オナニスト⇒オカズン」、「オカズン⇒金銭」という見事な一方通行が出来上がるからだ。

おめでとう、君の大好きなテレフォンセックスもライブチャットも有料である限り、それはオナニーである。本当におめでとう。君のためにクッキーを焼いてあげたいぐらいさ。


さて、オナニーの定義付けが終わったところで、自分で自分の性器を刺激するだけでオナニー面していたプレイの名称を決めたいと思う。もう奴らにオナニーもどきのプレイをオナニーと呼ばせてなるものか。

名称を勝手に決めさせていただきます。

「桃太郎電鉄」とこれから呼んでください。

「昨日彼女と『桃太郎電鉄』しちゃってさぁ、すげー燃えたよ」と何だかよくわかんない感じにさせてやりましょう。

それが僕達から桃鉄を奪った彼らへの報復となるのだから・・・。
                                              ~fin~
PR
あのさぁ、よくAVとかで「オナニーしてみせてよ」とか言ってオナニーさせたりとか、カップルでオナニーの見せ合いをしたりとかいう話があるじゃないですか。

それは果たしてオナニーと呼べるんですかね?
それってプレイじゃない?オナニーじゃなくない?

オナニーって日本語って言えば、自慰ですよ。自分を慰めると書いて自慰なんですよ!

上記の二つの例って自分を慰めてる?慰めてないでしょ?だからそれは僕から言わせてもらえばオナニーじゃないんですよ。

オナニーってもっとこう、不毛な感覚と背徳の感情と快感が3:2:5でブレンドされた、ドロくさい、そして人間くさい、熱い奴じゃないですか!

その僕たちのオナニーが、セックスの前戯、ましてやカップルのいちゃつきの一環と同じ名称で呼ばれることは我慢ならないんですよ!

僕が思うにオナニーっていうのは、一人でやる桃鉄じゃなくちゃいけない。
みんなが集まってワイワイ楽しくやるパーティーゲームじゃなく、一人で最高難度のコンピューター相手に99年やり遂げるストイックなほうの桃鉄じゃなくちゃいけない。

いわずもがな、そりゃ一人桃鉄って言ったらネクラの代名詞ですよ。でもさ、ゲーム製作者は一人プレイでも充分楽しめるようにゲームを作ってるんだよ。

それをパーティーゲーマーどもは、「一人桃鉄とかってどんだけ友達いないの?」くらいのトーンで攻めてくるじゃないですか。
そしていつしか、桃鉄といえばパーティーゲーム、という図式が成り立ってしまった。

オナニーもしかり、いつしかオナニーといえばセックスの前戯の羞恥プレイ、というのが当たり前になってしまうのではないか。
僕は怖い。

これは完全にオナニーという概念の侵略だ。陽の当たる奴らの搾取がまた始まったのだ。
彼らはマジョリティという武器を使って、僕たち、陽の当たらない軍団からいつも大切なものを強奪していく。

いいんですか?それでいいんですか?彼らの横暴を許していいんですか?

よくないですよね?じゃあ僕たちも武装するんだ。僕たちがマイノリティに押し込められてしまう前に武装するんだ。
大丈夫、腕力のないキミでも大丈夫。自慢じゃないが僕の握力は18だ。武装は武装でも理論武装さ。

奴らが僕たちからオナニーを切り取っていく前に、キッチリ何がオナニーかを定義してしまえ。先手を打つんだ。

そして奴らの言う「オナニー」に先に名前をつけてしまえ。ダッサイ名前を押しつけてやるんだ。そう、まるで貧乏神をなすりつけるように。

僕たちの「オナニー」を盗まれてからじゃ遅いんだ。問題が表面化してから対処するのでは遅い。
それを僕たちは一人桃鉄で学んだはずだ。


貧乏神は憑く前から、対処しなければならない。


経験を活かせ。あの時間を無駄にしてはならない。

                                        ~つづく~
いやっほーい!放置してやったぜ!ブログ放置してやってたぜ!

マルチだけど好意的なコメントを残してくれる方もいるし、すごく見に来てくれている方もいるというのに。
なんかすっごい見に来てくれてる人がいて感激した。そう、キミだよ、キミ。どうもありがとう。

まさかブログを見てるはずが、自分が見られてるとは思うまい、フフフ。当ブログを見てる方は、アクセス解析によってもれなく僕に見られています。

「気味が悪い」がコンセプトのブログキリストへようこそ!好きなAVジャンルは素人盗撮でっす!よろしくね!


しかし、僕もただただいたずらにブログを放置していたわけではないんだ。放置している間に衝撃的な事件があったのです。

いつも通る駅ビルにね、「小夢来石」というアクセサリーショップ?みたいなところがあるんですけど。
あのー、まあ、なんて読むかわからないじゃないですか。

でも「こゆめらいせき」なんて読むわけがない。だってそれじゃ意味がわからないもの。

だから、僕は考えたのです。

こむくせき?いや違う。
こむらいせき?これも違う。
おむくせき?違うな。
おむらい・・・す!?おむらいす!!これだ!!

ははあ、オムライスねえ。しかし、どうなんだこのネーミングは?
洋食屋じゃないんだからさ。ぶっちゃけダサイ。

「それどこで買ったの?」「オムライス」って言いたくない。絶対「は?」って言われる。
「いやだからオムライスだって」「は?何?喧嘩売ってんの?上等じゃコラァ!!表出ろや!!」「おお、やったるわい!!」ってなる。友達を一人失くす。

そう思っていたのが今年の4月でした。


そしてつい先日、悲しい事件は起こったのです・・・。

また「小夢来石」の前を通った僕はふっ、と鼻で笑い、そのまま通り過ぎようとしました。

するとその時、僕は見ました。

看板の「小夢来石」のロゴの下に「KOMUGISTONE」と書いてあったのを・・・

こむぎすとーん。小さな夢の来る石と書いて、こむぎすとーん。

ああ・・・、そう読むんだ・・・


そう、真にダサイのは「小夢来石」ではなく「僕」だったのです。


それからあまりのショックで流動食しか食べられなくなり、ミッフィーちゃんのようにかわいらしくなったので、結果的にラッキーでした(^^)v
正直であるか否かということは、その人間の評価にも大きく関わってくる。

事実、童話などではよく正直じいさんとウソつきじいさんがよく出てくる。
そして最終的には正直じいさんは正直なおかげで成功し、ウソつきじいさんはウソをついたせいで酷い目にあう。

こうして、正直なほうがいいということを子供の心に植えつけているのだ。
正直なほうがいいという意見には俺も異論はない。

しかし、"正直さ"というものの形が昔と今とでは大きく変わっているのではないだろうか?

『金の斧と銀の斧』の話を例にとってみよう。

正直じいさんは鉄の斧を落として、正直に「鉄の斧を落としました」と言う。


あの、これ、別に普通じゃない?

ウソつきじいさんは悪い奴に間違いないけど、正直じいさんは普通じゃない?
この話での正直じいさんは"正直"っていうより"ウソをつかない"じいさんなだけだろう。

こんなことぐらいだったら俺も普段やってるよ。

店にビニール傘忘れて、「すいませーん、傘忘れたんですけど」って言ったら、
店員がすげー色んな今までの忘れ物傘を持ってきても、俺はビニール傘を取るもん。

高そうな傘とかいっぱいあっても、ビニール傘取るもん。

でも自分のビニ傘より綺麗なやつを持ってくけど。そこは、ほら、正直とか、そういうの関係なくさ、知恵じゃん?生きてくための。


ね?だから正直じいさんは全然普通のじいさんなわけ。


俺は思うんだけど、現代における"正直さ"というものは、ウソをつかないということではなく、一種の図太さのようなものではないか?

「鉄の斧を落としたんですけど、金の斧と銀の斧が欲しいです」

これね、これが正直さだよ。

よく「正直者は損をする」とかいう言葉を聞くけど、その"正直さ"は古いよ。
ウソをつかないだけでしょ?
それじゃ得はしねえよ。当たり前だもん。
要所要所でバレないウソをつく奴のほうが得をするのは物の道理ってやつよ。


金の斧と銀の斧が欲しいって言えるのが現代の"正直さ"だろう。
そう言ったら女神も「ヌハハ、面白い奴じゃのう!気に入ったワイ!持っていけ!」って本宮漫画みたいな展開になるだろ?


ただし、いくら正直がいいと言っても、正直すぎるのはよくない。

「鉄の斧を落としたんですけど、セックスがしたいです」
いくら正直でも、こんなこと言ったら女神に金の斧で脳天カチ割られますよ。

だからこれからの時代、求められるのはどこまで正直に踏み込んでいけるかを見極める目だね。

「鉄の斧を落としたんですけど、おっぱい揉みたいです」

これくらいなら、いけると思うんだけど。
でもわからない、プライベートゾーンを触られることに関してNGな女神だったら、殺られるかもしれない。
腕に「お触り厳禁」ってタトゥーでも入ってたらわかりやすいんだけど、その可能性は低いだろう。

では、どうすればいいか?
事前情報なしで、どうやって判断すればいいのか?

それには「探り」をいれるしかない。
具体的にはこうだ。

「鉄の斧を落としたんですけど、俺の下の斧はもっとスゴいよ(笑)」

これで女神の反応を見て、「うわ、何言ってんのコイツ?」的な目で見られたらアウトだ。

逆にウケた場合や、「アタイのアソコの泉もこんなもんじゃないわよ」みたいな返しをされた場合はGOだ。

そして、うまくコトが運んだ場合には「もっと踏んでください!」とか「罵倒して!もっと汚く!」などと正直に自分の要望を伝えるのがよろしい。

でも「ウンコかけて!」とかあまりにマニアックなことを注文しすぎて、相手に引かれても私は知らないぞ!


※月刊SPA「絶対見分ける!ヤラせる女神、ヤラせない女神」より抜粋
あなたはウンコを我慢したことがありますか?

こう聞かれて、NOと答える人はいないでしょう。もし、いたなら私はすぐさま訴訟を起こします。

人間、誰しもウンコを我慢したことがあります。特に小学生の時などは、ウンコ我慢が死活問題です。

授業中に先生に「トイレ行ってきます」と申告して、教室を出るのは、小学生にとって非常に酷なことだからです。


しかし、本気でウンコを我慢したことなどほとんど小、中学生の時にしかないでしょう。
歳を重ねていくうちに周囲がトイレに関して寛容になっていくからです。大人の世界では、ウンコをしているだけでは蔑まれることはありません。

つまり、今我々は本気でウンコを我慢する機会がないのです。

果たして、それでいいのでしょうか?

ウンコを我慢している時のことを思い出してみてください。
それは非常にスリリングであり、人間の根底に根付くマゾヒズムを否応なしに揺さぶる刺激があったでしょう?

自分の身体との戦い、精神との戦い、肛門括約筋との戦い。どのスポーツよりもハードであると言えます。

ウンコ我慢の失敗は、死を意味します。反対に、上手くウンコを我慢しきった大成功でも誰も褒めてくれません。超ハイリスク、ノーリターンです。

しかし、思い出してください。
見事、我慢しきって家のトイレでするウンコを。
絶対の安堵感を。
「トイレがあれば他に何もいらない」と真顔で吐ける至福の時を。

私は会社や学校でウンコをしたら、どんどん蔑まれるべきだと思います。

小学校では今、男子の立小便器がないところがあると聞いて、私は愕然としました。
学校側が立小便器を撤去した理由はもちろん、ウンコができなくて困っている男子への配慮です。

私はいまだにこの現状が信じられません。恐らく最近の若者が引き起こす心無い事件は、これが原因ではないかと思います。

凶行を犯す少年達には、現実感が欠如しています。「リアル」などという言葉が若者の間で流行っているのも、現実感というものが不足しているからではないでしょうか?わざわざ「リアル」という言葉をつけないと彼らには現実感が持てないのです。

何故彼らは現実感を持てないのでしょうか?

現実感、それは自分が生きているという実感です。人間はどういう場合にそれを感じますか?

そう、本能が満たされたときです。人間はそのときに生きている実感を得ます。

現代の小学生を見ていると、食、睡眠は親により徹底的に管理されています。性は、パソコンの普及により小学生でも簡単にアダルト動画を見ることが出来る現状です。その、ブラウン管ごしの性に現実感はありません。

唯一、本能に根ざしていて子供の自由になっているのは、排泄だけなのです。大人たちは排泄を我慢する素晴らしさを教えていくべきです。それが今や、大人たちのやろうとしていることは、我慢とは全く逆の方向へと進んでいて、全く嘆かわしい限りです。


でも大丈夫、私達が率先してウンコを我慢していきましょう!青少年の模範として、正しくウンコを我慢するのです!


正しいウンコの我慢の仕方がわからない、全然ウンコが我慢できない、コツがつかめない。な~んて方も大丈夫!

以下の正しいウンコの我慢仕方を読んで、よく勉強してくださいね!

①容易には抜けられない環境に身を置く

これが一番重要です。親の葬式の読経の最中や、自身の結婚式で親友がスピーチしてくれている最中などが最も理想的です。
どうしてもそういう状況が作れない場合は、親を刺殺してみてください。葬式になりますから。崇高な理想の前では、人の命になど全く価値はありません。


②波を掴む

ウンコを我慢しだしたら、まずするべきことは便意の波を把握することです。自分が登り坂(やばい時)にいるのか下り坂(比較的安全)にいるのかは最低限意識して我慢しましょう。


③正しいフォームを身につける

最も一般的なのは、お腹に手を乗っけて温めながら、足を閉じ、前傾姿勢を取るというものです。フォームは人によって様々です。無理をせず自分に合っていると思うものをゆっくりと探していきましょう!


④オープンスタンス法

これこそ、ウンコ我慢界の活版印刷とまで言われた世紀の発明です。
これは、従来のフォームとは真逆で足を広げます。これにより、腹痛を抑える効果が期待できるのです。まさに、ウンコ我慢のコペルニクスと言っても過言ではないでしょう。思いっきり足を開いても、意外と肛門括約筋に負担がかかりません。ただし、どんな特効薬もそれを常時使っていては効果がなくなってしまいます。通常フォーム4:オープンスタンス法1 程度に留めておいたほうが無難でしょう。


⑤ダミーおしっこ

ノーベルウンコ賞があれば、間違いなく受賞していたであろう、大発見です。
ウンコを限界まで我慢していると、おしっこがしたくなってきます。そしてその状態でウンコをすると、なぜかしたかったはずのおしっこが出ません。それがダミーおしっこなのです。
つまり、その尿意は捏造されていたものだったということになります。しかし、ダミーおしっこはウンコを我慢している最中にはあたかも本物のおしっこのように扱われるという特性を持っているのが厄介です。ウンコ我慢中に尿意がきたからといってダミーおしっこだと思い、おしっこ我慢のほうに力を入れなくなると即漏らします。
つまり、ダミーおしっことはウンコ我慢中にのみ出るおしっこなのです。これを防ぐ手立ては現在も見つかっていません。しかし、概念として知っておくと非常に便利だと思います。ウンコ我慢も限界までいくと、便意と尿意の両方から攻めてくるわけです。まさに、前門の虎、後門の狼と言ったところでしょう(肛門だけに)(上手い!座布団100枚!)


講座はとりあえず、こんなところです。

ここから先はあなたたち、ひとりひとりが自分だけの方法を見つけてください。

最後に、この言葉を贈ります。

「ウンコ我慢、したい時に胃腸なし」


以上を持ちまして、ウンコがまリンピック開会の挨拶とさせていただきます。

次回から白熱のウンコがまリンピック編!!ご期待ください!!
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