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どうやらそろそろ就職活動っていうハードSM?みたいなもんをやらなきゃいけない時期らしいです。
就活サイトに行って入りたい企業にエントリー。これがまためんどくさい。聞いたところによると100社エントリーくらいは基本らしいですよ。
げえー、勘弁してくれ。俺はチョイMなだけで、そこまでMじゃねえよ。ちくしょう。
「でもまあ、一日三社づつエントリーしていけば一か月で90社だよ」ってか。
言うは易し行うは難し、という書き初めを一日三回やらせてやろうか?
無理だよ、そんなもん。コツコツが一番嫌いなんだ。コツコツって言葉を考え出した奴の、爪と肉の間に針を突き刺し、上からハンマーでコツコツとやってやりたい。
一日三回ってオナニーじゃないんだから・・・。ハッ!そうだ!オナニーを一回するごとに一社エントリーしていけば、俺でもコツコツできるんじゃないか?
チンコを綺麗に拭いて、企業にエントリーするまでをオナニーとするわけだ。射精するまでがオナニーじゃありません、ってね。
そういうふうに自分の中で決めて、現在三日目。期せずしてオナ禁中です。
あー、そっちにいっちゃったか。
←頑張れ就活生!あと、これ押せ!
『坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた』という早口言葉があるじゃないですか。
早口言葉としてかなりメジャーなほうで、耳にすることも多いと思うんですけど。
「坊主」が二回出てくるっていうのは、どうなの?
なんか美しくなくないですか?
『坊主が屏風に上手に』までは意味もキチンと通じるように、別の言葉で韻を踏んできたのに、もっかい「坊主」を出しちゃったら今までの苦労が台無しじゃないか。
そもそも坊主が坊主の絵を描くっていうのもよくわからないし。なんなの?自画像?同族愛?
なんにせよ、僕はそこにドラマを感じない。
『坊主が屏風に上手に娼婦の絵を描いた』
こっちの方が断然いいと思う。
情景がありありと浮かんでくる。
金隆寺の坊主見習い、珍念(17)は悩んでいた。お寺の厳しい修行、素食には幾分体も慣れてきたがどうしても我慢できないものが一つあった。
青春とかいて性旬。女性経験もなく年頃の珍念は、女体への関心を捨てきることはできなかった。
一度街へ下りた時、歓楽街のそばを通ると外国の女性に声をかけられた。袈裟を着ている珍念に声をかけてくるとはよっぽど日本の文化に関心がないのか。
「オニサン、イィコトシナイ?イィコト。5000ェンポッキリ」
たったそれだけでいいのか!?その安さに驚いた。それだけ払い、事を済ませばそれより先、女性への関心を断ち切れるかもしれない。
五千円ぐらいなら持っていた。時間もあった。
仏への信仰か、それとも度胸がなかっただけか。珍念はそのまま通り過ぎたのだった。娼婦の姿を目に焼きつけながら。
最初は、捨てるはずの屏風だった。
言われたとおりに蔵に行き、捨てるように言われた屏風を外に運ぼうとしたとき突然、性の衝動が珍念を襲った。
あそこで外人娼婦の誘いに乗っていたらどうなっていただろう。近場のホテルへ入り、セックスしていたのか。見つめあう裸の娼婦と裸の僕。
その妄想は下半身とともにムクムクと大きくなり珍念を支配した。やわらかく豊満な胸、すらりと伸びた脚、見たことのない女性のアソコ。
それが全部自分の好きに・・・。
欲望の赴くまま・・に・・・。
気付くと珍念は夢中で屏風に娼婦の絵を描いていた。
助けてくれ、助けてくれ!僕はおかしくなってしまったのか!
自分でも異常を理解しているが、筆は止まらない。
焼きつけた姿をスケッチするようにどんどんどんどん描いていく、パーマした髪を、黒い瞳を、安っぽいメイクを、どんどんどんどん描いていく。
はは、痛いほど勃起している。
完成した絵はお世辞にもうまいとは言えなかった。しかし珍念は不思議な充足感を覚えた。
それから珍念は、性欲が止められなくなると自宅で娼婦の絵を描くようになった。自分でもバカだと思うがやめられない。
3年の月日が経ち、役職から見習いの文字が取れても相変わらず珍念は性を断ち切れなかった。
自宅で描いた娼婦の絵はゆうに300枚を超えていた。絵はどんどん上達したが、得られる充足感はそれに反比例して小さくなった。なぜだろう。
穏やかな春の午後、それは突然やってきた。悶々としながら庭掃除をこなしていた珍念は信じられないものを見た。
外人の女性が境内にいる。
別にそれ自体は珍しいことでもない。だがしかし、その女性はあのときの娼婦その人であった。300枚も写生した女だ。見間違うわけもない。
何故来ているか、それはわからない。そしてそんなことはどうでもいい。あの娼婦が目の前にいる。それだけで珍念の股間は熱くなった。
呆然としている珍念の横を通り抜け、娼婦は寺から出ていった。その後ろ姿を珍念はまばたきもせず見ていた。
ああ、どうすればいいのか!この昂りを。家で絵を描く?もうダメだ。そんなことじゃ満足できない。
あのときほどの興奮が得られるものか!3年前、屏風に絵を描いたときほどの興奮を!
珍念は何かに取り憑かれたように筆を手にし、留守中の住職の部屋に向かった。
誰もいない住職の部屋には、大きな屏風があった。ウン百万すると、自慢そうに語っていたあの屏風だ。
珍念はその屏風にためらうことなくべったりと筆をつけた。
今までで一番大きなキャンパスだ。スペースをフルに使い、あの娼婦を描いていく。
淡い色彩が美しいウン百万の屏風はもうそこにはなかった。
描き飽きているはずの絵なのに、こんなに楽しい!こんなに興奮する!すごい、すごいぞ!これは。名作になる!
胸のカーブを描いているとき、珍念は射精した。だが依然ペニスは勃起し続けていた。
ははは!すごい!ははは!
笑いながら筆を動かす。3年前とは比べものにならないほど、上手に描けている。
ははは!ははは!ははははははははははははははははははは!!
みなさんもご存じのとおり、この会合では有名映画パロディーAVのタイトルを批評していきます。
基本的に私がビデオ屋で見かけたもののみ評価します。
芸術点とおもしろ点、各5点、合計10点で評価します。
パロディAV・・・、誰しもパッケージを見て手に取った経験がおありでしょう。誰しも友達と一緒にビデオ屋に行ったら「ねえねえ、これ」と指を指して喜ぶでしょう。
この会を通して、我々を惹きつけてやまないパロディAVの魅力とは一体何なのかということが、少しでも解明されればと思います。
『マトリックス』より
『マゾリックス』
芸術点:3 おもしろ点:3 合計点:6
可もなく不可もなく。ある意味お約束的パロディ。
あの有名な拳銃をよけるシーンでなんか色々やるんだろうなぁ、と想像される。
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』より
『リアル・エッチ・プロジェクト』
芸術点:3.5 おもしろ点:2.5 合計点:6
うまいなあって思う。語感もいいし。ただ、このタイトルだけで元ネタが万人にわかるだろうかという不安要素が残る。うまいっていう感情が先にくるからおもしろ点は低めで。
『ハリーポッターとアズガバンの囚人』より
『エローポッターとヴァギナガンの囚人』
芸術点:1 おもしろ点:4.5 合計点:5.5
無理があるだろ、と。濁点しか合ってねえよ、と誰もがツッコミたくなる。ある意味すごい作品。すげえバカバカしくて面白い。
『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』より
『エッチ・ミー・ウフン・ウー・イヤン』
芸術点:3 おもしろ点:4.5 合計点:7.5
これは評価が分かれる作品。うまいっちゃあうまいけど喘ぎ声を使ったらずるいだろ、何でもありになるじゃないかという意見もある。しかしイフ・ユー・キャンとウフン・ウー・イヤンで半分ぐらいは合ってるのもまた事実。中間を取って、芸術点は3とさせていただきます。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』より
『ファック・トゥ・ザ・ティーチャー』
芸術点:4 おもしろ点:3.5 合計点:7.5
これもうまい。うまいんだけど、恐らくバック・トゥ・ザ・フューチャーの設定が何も活かされていないであろうことを考えるとそこが減点対象か。
『タイタニック』より
『パイパニック』
芸術点:4.5 おもしろ点:4 合計点:8.5
すごい!タとパしか変わってない!面白いし。巨乳乱交モノであることが容易に想像できるところもまた良し。これを作ったのは有名なエロパロ職人に違いない。なにやら不思議な感情が湧いてくるぜ。そうか、これが”敬意”か・・・。
『ランボー』より
『インランボー』
芸術点:4 おもしろ点:4 合計点:8
こ、これは!「イン」をつけただけで淫乱棒、ペニスの暗喩になってしまった!すばらしい!しかし、何も関係ない「イン」を付け足すというのはパロディタイトルとして大幅減点せざるを得ない。大幅減点をしてもこの得点というのは驚異である。
とりあえずこれくらいで。
しかし『ナルニア王国物語~ライオンと魔女~』が『アナルニア王国物語~肛門と痴女~』としてパロディ化されていないのは全く遺憾である。いや、もしかしたらされてるかもしれないけど。
それと昨今の都市伝説ブームに便乗して、エロい都市伝説を試していくという企画AVが出ると睨んでいたんだけど一向に出る気配がない。「SEX都市伝説~感じる感じないはオマタ次第~」というタイトルまで考えていたのに、一体どうなっているんですか!いや、もしかしたらこれも出てるかもしれないけどさ。
とにかく、俺が言いたいことは一つ。
こういう職業に就きたい。
←協力して頂けたら非常に嬉しいです
このままではいけない。
美しい日本語を俺たちが守っていかなくては!!
ときに日本語には、米を意味する言葉が他の言語に比べてとても多い。
米、ご飯、精米、玄米、五穀米、発芽米、などだ。
これは、米というものが日本の文化にとって重要なものだからだ。
我々の生活に根ざしたものだから必然的に呼び方も多くなる。
その米の細かな状態を表す言葉が存在するのだ。
さて、米と同様に多種多様な呼び方をする、我々の生活に深く根ざしたモノをあなたはご存知だろうか?
そう、チンコだ!!チンコを表す言葉はたくさんある。
しかし、その用法を間違って使っている人がほとんどだ。
これほどチンコを表す言葉が多様なチンコ大国日本に住んでいるというのに、これは嘆かわしいことである。
そこで、以下に『チンコ辞典第五版改訂版』より正しいチンコの呼び方を書いておくので、これを見てよく勉強してほしい。
〔チンコ〕
一般的に用いられる男性の生殖器の呼称。
特に示している状態はなく、平常時、勃起時、縮こまり時、真性包茎、仮性包茎、カントン包茎、ズルムケ、など、全ての状態の時に用いて問題ない。
非常に便利な呼び方である。
〔チンポ〕
チンコよりもやや可愛い男性の生殖器の呼称。
ムけてないチンコの勃起していない状態を表す。
〔チンポコ〕
チンポよりさらに可愛い男性の生殖器の呼称。
真性包茎限定の呼称である。
勃起、非勃起は問わない。
毛が生えてないとなお良い。
〔ポコチン〕
チンポコと同義。
〔男根〕
チンコよりやや厳つい男性の生殖器の呼称。
勃起したチンコの呼称。
ムけてる、ムけてないは問わない。
〔ジュニア〕
チンコを自分の分身と思い、「息子」と呼ぶ愛チンコ家の間によく見られるチンコの呼称。
チンコが愛しくてたまらないときに用いる。
用例
「俺のジュニアも喜んでるゼ」
〔チンチン〕
勘違いしている方も多いがこれは女性語である。
健全な青少年はこの呼び方をしてはいけない。
チンコ同様、状態は問わない。
チンチンは女性語だが、チンコは男性語ではない。
女性の方は安心してチンコと叫んで欲しい。
〔オチンチン〕
これも女性語である。
勃起した状態のチンコを示している。
用例
「ホラ、何が欲しいんだ?言ってみろ」
「お、オチンチン・・・。オチンチンが欲しいのお!!」
〔オチンポ〕
やはりこれも女性語である。
勃起した状態のチンコを表す。
オチンチンとの違いは、チンコが挿入済みか否かという点である。
オチンポは挿入済み限定の呼称。
挿入中に女性が叫ぶ言葉として用いられる。
用例
「オチンポきもちいいのおぉ~!!!」
以上です。やはり男性器の呼称は奥深いですね。
キミのお気に入りのチンコの呼び方も見つかったカナ?
前回、カップル同士でオナニーを見せ合ったりするのはオナニーではないと語ったが、ならば一体どこからどこまでがオナニーなのか。
これは非常に難しい問題である。
しかし、ご安心あれ。オナニーのパイオニア、自慰のスペシャリスト、Mr.マスターベーションと数々の名声を欲しいままにしてきた私がこの命題を今日こそ解決したいと思う。
オナニーには3つの法則があるのだ。これを理解すれば直ちにあなたにもオナニーとは何か、ということがわかるであろう。
そしてオナニーを完全に理解したあなたは喜びのあまり、実家の母親に電話をかけるのであろう。
「もしもし、母ちゃん?俺とうとうオナニーが何かわかったよ!」なんつって言うのだろう。悪いことは言わない。やめておけ。
まずオナニーの第一法則からいこう。これは別名「オカズ不干渉の法則」と呼ばれている。
オナニーの実行者(以下オナニスト)は、オカズにされているもの(オカズン)に対して干渉してはいけないという法則である。それを犯したとき、その行為はオナニーではなくなり、プレイとなるのだ。
これはオナニーの基本中の基本だ。
テレフォンセックスを例に取ってみるとよくわかる。もちろんテレフォンセックスはその名称のとおり、オナニーではない。では何がいけないのかというと、オナニストの呼びかけにオカズンが応えてしまっているところだ。
これはいけない。オカズに干渉してしまっている。よってオナニーとは呼べないのだ。
次にオナニーの第二法則「一方通行の法則」の説明に入っていこう。
これは、オナニストとオカズンの正しい関係についてより深く入っていった法則である。
簡単に図で示すと「オナニスト⇒オカズン」の関係でない限り、それはオナニーと呼べないということである。
「オナニスト⇔オカズン」の関係ではダメなのだ。
この法則と第一法則とどこが違うのか、と疑問に思った方もいるかもしれない。
のぞきを例に挙げると第一法則との違いがわかるはずだ。第一法則だけではオカズンがオナニストの、のぞきに気付いていようがいまいが、干渉しているわけではないのでOKだったはずだ。
しかし、この第二法則は違う。のぞきにオカズンが気付いて、それを許容している場合は「オナニスト⇔オカズン」の関係になる。つまり、オカズンが自分をオカズにオナニーしているオナニストの存在に気付いてはいけないのだ。
それを許容するということは、自分がオカズになってあげているという意識をオカズンが持つということである。これがプレイでなくて、なにがプレイなものか!えーい、お母さん!ご飯おかわり!
最後の第三法則は「金銭目的の法則」である。
これは今までの法則の例外を示すものだ。そう、法則の名の通り、金銭がからんでいる場合は第一、第二法則に抵触していてもそれはオナニーとなるのである。
金銭がからんだ場合、オカズに干渉しても「オナニスト⇔オカズン」とはならない。なぜなら「オナニスト⇒オカズン」、「オカズン⇒金銭」という見事な一方通行が出来上がるからだ。
おめでとう、君の大好きなテレフォンセックスもライブチャットも有料である限り、それはオナニーである。本当におめでとう。君のためにクッキーを焼いてあげたいぐらいさ。
さて、オナニーの定義付けが終わったところで、自分で自分の性器を刺激するだけでオナニー面していたプレイの名称を決めたいと思う。もう奴らにオナニーもどきのプレイをオナニーと呼ばせてなるものか。
名称を勝手に決めさせていただきます。
「桃太郎電鉄」とこれから呼んでください。
「昨日彼女と『桃太郎電鉄』しちゃってさぁ、すげー燃えたよ」と何だかよくわかんない感じにさせてやりましょう。
それが僕達から桃鉄を奪った彼らへの報復となるのだから・・・。
~fin~