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『坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた』という早口言葉があるじゃないですか。
早口言葉としてかなりメジャーなほうで、耳にすることも多いと思うんですけど。
「坊主」が二回出てくるっていうのは、どうなの?
なんか美しくなくないですか?
『坊主が屏風に上手に』までは意味もキチンと通じるように、別の言葉で韻を踏んできたのに、もっかい「坊主」を出しちゃったら今までの苦労が台無しじゃないか。
そもそも坊主が坊主の絵を描くっていうのもよくわからないし。なんなの?自画像?同族愛?
なんにせよ、僕はそこにドラマを感じない。
『坊主が屏風に上手に娼婦の絵を描いた』
こっちの方が断然いいと思う。
情景がありありと浮かんでくる。
金隆寺の坊主見習い、珍念(17)は悩んでいた。お寺の厳しい修行、素食には幾分体も慣れてきたがどうしても我慢できないものが一つあった。
青春とかいて性旬。女性経験もなく年頃の珍念は、女体への関心を捨てきることはできなかった。
一度街へ下りた時、歓楽街のそばを通ると外国の女性に声をかけられた。袈裟を着ている珍念に声をかけてくるとはよっぽど日本の文化に関心がないのか。
「オニサン、イィコトシナイ?イィコト。5000ェンポッキリ」
たったそれだけでいいのか!?その安さに驚いた。それだけ払い、事を済ませばそれより先、女性への関心を断ち切れるかもしれない。
五千円ぐらいなら持っていた。時間もあった。
仏への信仰か、それとも度胸がなかっただけか。珍念はそのまま通り過ぎたのだった。娼婦の姿を目に焼きつけながら。
最初は、捨てるはずの屏風だった。
言われたとおりに蔵に行き、捨てるように言われた屏風を外に運ぼうとしたとき突然、性の衝動が珍念を襲った。
あそこで外人娼婦の誘いに乗っていたらどうなっていただろう。近場のホテルへ入り、セックスしていたのか。見つめあう裸の娼婦と裸の僕。
その妄想は下半身とともにムクムクと大きくなり珍念を支配した。やわらかく豊満な胸、すらりと伸びた脚、見たことのない女性のアソコ。
それが全部自分の好きに・・・。
欲望の赴くまま・・に・・・。
気付くと珍念は夢中で屏風に娼婦の絵を描いていた。
助けてくれ、助けてくれ!僕はおかしくなってしまったのか!
自分でも異常を理解しているが、筆は止まらない。
焼きつけた姿をスケッチするようにどんどんどんどん描いていく、パーマした髪を、黒い瞳を、安っぽいメイクを、どんどんどんどん描いていく。
はは、痛いほど勃起している。
完成した絵はお世辞にもうまいとは言えなかった。しかし珍念は不思議な充足感を覚えた。
それから珍念は、性欲が止められなくなると自宅で娼婦の絵を描くようになった。自分でもバカだと思うがやめられない。
3年の月日が経ち、役職から見習いの文字が取れても相変わらず珍念は性を断ち切れなかった。
自宅で描いた娼婦の絵はゆうに300枚を超えていた。絵はどんどん上達したが、得られる充足感はそれに反比例して小さくなった。なぜだろう。
穏やかな春の午後、それは突然やってきた。悶々としながら庭掃除をこなしていた珍念は信じられないものを見た。
外人の女性が境内にいる。
別にそれ自体は珍しいことでもない。だがしかし、その女性はあのときの娼婦その人であった。300枚も写生した女だ。見間違うわけもない。
何故来ているか、それはわからない。そしてそんなことはどうでもいい。あの娼婦が目の前にいる。それだけで珍念の股間は熱くなった。
呆然としている珍念の横を通り抜け、娼婦は寺から出ていった。その後ろ姿を珍念はまばたきもせず見ていた。
ああ、どうすればいいのか!この昂りを。家で絵を描く?もうダメだ。そんなことじゃ満足できない。
あのときほどの興奮が得られるものか!3年前、屏風に絵を描いたときほどの興奮を!
珍念は何かに取り憑かれたように筆を手にし、留守中の住職の部屋に向かった。
誰もいない住職の部屋には、大きな屏風があった。ウン百万すると、自慢そうに語っていたあの屏風だ。
珍念はその屏風にためらうことなくべったりと筆をつけた。
今までで一番大きなキャンパスだ。スペースをフルに使い、あの娼婦を描いていく。
淡い色彩が美しいウン百万の屏風はもうそこにはなかった。
描き飽きているはずの絵なのに、こんなに楽しい!こんなに興奮する!すごい、すごいぞ!これは。名作になる!
胸のカーブを描いているとき、珍念は射精した。だが依然ペニスは勃起し続けていた。
ははは!すごい!ははは!
笑いながら筆を動かす。3年前とは比べものにならないほど、上手に描けている。
ははは!ははは!ははははははははははははははははははは!!
『坊主が屏風に上手に娼婦の絵を描いた』
←な?な?減るもんやないし、ええやろ?な?